ある年の三月

 

 身近な草木の覚書です。近所の梅の老木は、前の大雪で裂けて折れそうな枝にも逞しく花がついていました。沈丁花や満作の花が咲き、梅と入れ替わるように木蓮と辛夷が開花。以前、選択科目の崑曲の授業がある教室の窓の外が、ちょうど白木蓮の花の位置でした。良い香だったと知人は言うのですが、残念ながら印象に残っていません。

 春分が過ぎて桜開花の知らせが届く頃になると、少し足を延ばせば寒緋桜、酔馬木、ボケ、レンギョウ、雪柳、一輪草、水仙、富貴草、三葉つつじ、花蘇芳などの花にも会えます。桃と梨の花は、姿も香りも梨の方が優しい気がします。傍らの柳の新緑が鮮やか。空地では名前のわからない花が一面に咲きました。この辺りには雉がいて、初夏には鳴声が聞こえ、夏のトウモロコシ畑で雄の雉を一度見たことがあります。じわじわと宅地化が進んでいる場所なので、雉の住む小さな林は残してほしいといつも思います。

 自転車で移動中、満開の一本桜に気づきました。後で知ったのですが恐らく大寒桜で、近づくと淡い香りがし、枝を飛び交う緑の鸚哥が花を銜える様子は工芸の図案の原型そのもの。今まで見過ごしていたこの株に出会えたのは、今春の大きな喜びです。月末には咲きだす大きな枝垂れ桜も、毎年楽しみにしている花の一つです。先日は関東平野部には珍しく、雷鳴と共に激しく雨あられが降りました。外にいたら大変ですが、「春雷」という実在する老琴を連想してどきどきします。自宅では、去年加わった鉢植え迷迭香の苗2号(1号は失敗)に柔らかい枝が伸び、同じく鉢植え秋牡丹は次々と新芽が上がっています。これから暑いベランダで夏を無事に越せるのかが課題です。花期の長い春蘭もそろそろ見納め。今年も有難うという気持ちです。

 あらためて、まだ寒い時期から身の回りの自然のめぐりは密でした。春は気候も世の中も変化が多く、ついていくだけで精一杯という時もあるのではないでしょうか。うっかりしていると、季節の移ろいに置いて行かれてしまう気がして書き留めてみました。

 

 

 

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